私(院長/施設長)、の理念として

よく慢性という表現で片付けられてしまうものの中にある“痛み”、諦めなければならないのか ?

 繰り返し起こる痛み、疲労、だるさ 

どうにかしてほしいという思いで 治療に訪れ、≪慢性の……….ですね≫ という診断を下され、他でもまた同じ……..  そして対処療法にすがり 悪化をたどる日々。

施術者、治療者には いろいろなタイプがおり また個人プレーに走る者も、連携して診てくれて結果を出して下さる者とか 勿論、患者さんが選んで 訪れるわけだから 患者さんに責任があると云えば もともこうもない事ではあるが、或る本で書かれいてる通り、≪当たるも八卦、外れるも八卦 それもいと可笑し?≫ 患者も勉強しなければよい先生に巡り合えない?   施術者・治療者/先生 の方には何の戒めもなく 書かれている本でした。
 本当は逆の意味も備えている本ではあるけれど、施術者・治療者/先生に≪勉強しろ≫なんて言えないから。

カラだの痛みには すべて原因(大なり小なり)があり それらが時間の経過とともに(生活の中で)末端、或は中核へと影響を及ぼし そして 耐えられなくなって(大きな痛みとなって)慢性 というような表現で片付けられてしまう外部の痛み、内科的内容であれば違いがあるが それを………難しい?

私としては 慢性という言葉は “治らない” という言葉と 同じに考えられ 決して口にしてはならない言葉のように思え 末端から中核(根)へ、根っこから芽を出すように考えていきたいと日々の仕事への戒めとしている。
 勿論、他の先生方もそうしていること。 ただ、私は患者さんとのやり取りからさらに多くを学び、故貞光先生の{わからないものは患者さんが教えてくれる} 言葉を そして長年お世話になっている師匠の 御所野先生の根本を見極める力 USA NJ ロル・chiなどを さらに大成させるべく日々の励みとしていく。

当センターの2階の トレーニングルームは 一般とは変った味付けもすることができ{私がトレーナーを務める}、最大パフォーマンスを発揮できるようにすることを目的とした内容から種々のトレーニングについても対応します。

ここで紹介した内容は 後日さらに更新されます。お楽しみに